東京B級百景〜その1〜「釣り文化資料館」@新宿 曙橋

●手作り釣具の思い出

小学生の頃、庭に植えてある竹で釣り竿をつくった。

庭を牛耳っている祖父母に了解を得て、ちょうど良いサイズのものを選び根本で伐採。強度が出るようにと、物置の屋根で天日干し(その効果はなぞ)をし、枝葉を削ぎ落とす。手を握るグリップ部分には、タオルを巻きガムテープで補強(雨の日のことは考えていない)。仕上げに(これがもっとも神経を使うところ)竿先に道糸を付ける。
この仕上げにかなり苦心した。小学生にしてみれば、難易度が高かったようだ。失敗してはやり直す。
「竹自体に穴をあける」「節の段差を利用する」「ヤスリで切り込みを入れる」など。どれもメリットがあれば必ずデメリットもついてきた。
試行錯誤が続いたが、ついに完璧といえるような方法は見つからないまま、市販品であるカーボンロッドを使うようになった。

中学生になって、周囲がにわかに釣りブームの兆しを見せたので、僕は普通の釣りに飽きた。
そこでバルサ材を用いた手作りルアーの作製に没頭した。
竿づくりが小学生にとって難しかったのと同じように、ルアーづくりは中学生にとってハードルが高かった。
少し釣りから遠ざかった。

進学した高校のすぐ近くに城池と呼ばれる、農業用のため池があった。
ふたたび僕の中で「釣り熱」がわき上がった。
1限が始まるまで(時には、1限をさぼって)釣りに興じた。その時間を勉強に充てられたのならば、東大に進学し、いまごろは官僚にでもなっていただろう。なっていないだろう。

一応、高校は進学校に通っていたので、普通の人(?)が多く、釣りに行く奴なんて僕の他にひとりかふたりくらいだった。そのためか、あるいは高校生はそれなりにお金があることが手伝ってか、もっぱら市販品を使っての釣りになった。

大学生になって僕がハマったのは渓流。沢登りと釣り。そしてヤマメやアマゴの美しさと美味さ。
そこに手作り釣具が入り込むすき間はなかった。

僕にとっての手作り釣具の歴史である。

●さあ、釣り文化資料館へ、いざ行かん! のはずが…

曙橋駅A1出口を出る。

靖国通りを背にし、住宅街へ歩を進める。特に用事がなく、急ぐ必要はなかった。
せっかくなので曙橋周辺がどんな町なのかと、きょろきょろあたりを見渡しながら資料館へ向かうことにした。

すぐに興味深いものに遭遇。「岡本印房」という店である。

そこには「全国印章技術大会第一位の店」とあった。その名称にも興味をそそられるが、もっと注目してほしいのはその文字が店の看板に刷り込まれていることである。
「◯◯金賞受賞しました!」「◯◯誌に紹介されました!」などの勲章や謳い文句は、取ってつけたような看板に貼付けるのが世の常というものであろう。
しかし、この店は全力でもって、この「第一位」を押してくるのである。なんたる自信!
もはや、全国印章技術大会で優勝したからお店を出したかのようだ。
(どんだけだよ…)とツッコミをいれながら、僕は小馬鹿にしないではいられなかった。たいしたことないやつに限って、大層なことを書きたがる。きっとその大会なんて、屁みたいなものに違いない。

屁みたいだと思いながらも、やはり気になる。
さっそく調べてみると、社団法人全日本印章業協会が主催する「全日本印章業組合連合会全国大会」は隔年で行われ、次回開催は来年9月に中国地方で開催予定で、第19回を数える。
驚く事なかれ、あのサッカーW杯も現在19回であるから、それが4年に一度という条件はあるにしろ、歴史の深さはあのW杯と同レベルなのである。調べれば調べるほど奥が深いことがわかってくる。
さらに、オリンピックばりにゴム印の部、木口実印の部、版下の部など細かいカテゴリー分けがあり、きちんとした予選会の地方大会まである厳格な競技大会だった。

「岡本印房」のホームページによると、同店は労働大臣賞を最年少受賞した印章作家、岡山尚山氏のお店らしい。(詳細はこちら
なんと! 国家レベルの話だったのか! なるほど、思い切って看板に刷り込んだだけあって、すごい人のようだ。僕は屁みたいなんて言って後悔した。屁みたいなのは僕のほうだ。屁だけでなく「み」も出た話はこちら

名古屋に「印章歴史館」なるものがあるそうなので、機会があれば訪れてみたい。

●脱線は続くよ、どこまでも

いちど頭の中が脱線してしまうと、なかなか元には戻らない。
そのあと、やけに目についたのが、字のデザイン。どうしてだか曙橋から釣り資料館に向かう道中には面白いそれが多かった(多いと言うか、頭の中がそういうモードになっていたからだろうけど)。

なぜか「山」だけが大きい。書体も少し異なる。なにか意味があるのだろうか。

こちらはこの「野」の字がかっこいいなぁ。
そんな文字を眺めながら、こんな大仏さまや…

こんな素敵な坂を超えると、ありました。

ででーんと。

ここが「釣り文化資料館」の入っている、(株)週刊つりニュースの社屋です。

●受付で書かされた閲覧者名簿の住所欄は、どれも「◯◯区」としか書かれていなかった

都営新宿線曙橋駅から歩いて5分ほどにある「釣り文化資料館」は週刊釣りニュースの創設者、船津重人氏が開設した釣り分野では全国初の公開施設である。
受付で住所と名前を書いていざ、資料室へ。ここはなんと無料で入れるという素晴らしい施設。
それにも拘らず、資料室は誰もいなかったので、じっくりと見学することができた。
受付の親切な女性に聞いたところ、閲覧者は多いときで一日5人程度。少ないときは一週間誰も来ないこともあるそう。趣味での利用者が多いとのことだ。

館内には、氏が収集してきた各種和竿(わさお)、魚籠(びく)などをはじめ、伝統的な釣り具が多数展示されている。和竿は国産の竹である布袋竹(ほていちく)や真竹、丸節などを用いた釣り竿を指す。
その歴史はおよそ200〜300年前。和竿の一種であり東京近辺で流行った「江戸和竿」は開祖と呼ばれる松本東作(元紀州藩士・松本三郎兵衛)が天明8年(1788年)に下谷いなり町で創業したと言われている。もっとも、この和竿という呼称自体は昭和40年頃に、西洋からの六角竿と区別するために名付けられたものである。
釣りの文化はその歴史を遡ると、紀元前8000年頃の石器時代には存在したとされているほど長いが、この「釣り文化資料館」はその長い歴史の中の1700年末〜1990年頃の資料を中心に並んでいる。
その資料構成は主に初代館長である船津重人氏のコレクションが4分の3、残りが有志から寄贈されたもの、といったところだ。

先にも書いたが、大学生以来、僕にとって釣りといえばもっぱら渓流でのルアー釣りである。主なターゲットはアマゴ、ヤマメ。その釣りの中で感じていたことは、「釣りは釣れればいいというものではない」ということだった。
「渓流の織り成す水の音を感じるだけでいい」「どんな道具でどんな釣り方をするかが大切」などなど…。

それと同じようなことを、釣り文化資料館に出てくる偉人たちが語っているように感じられて嬉しかった。それだけでも来る価値があったというもの。

そのことが最も如実に感じられたのが和竿である。
和竿の開祖である松本東作らを筆頭とした職人たちはただ釣果を求めるためだけに、竿作りの技を深めていったわけではない。

「釣りびとをいかに楽しませるか」をあらゆる側面から考え抜いたのだ。

ときに、真の腕を試させるために、あえてアタリを取りづらい竿を作った。
ときに、いざ魚が掛かっても取り込むのにひと際、苦労するであろう軟らかい竿を追求した。

それだけではない。和竿は“お洒落”にも気を遣っていた。
見よ、この装飾を。お見事のひと言である。

このタナゴ竿には、小さくてきれいなものが多い。
お洒落な小物として、女性にも人気が出てもおかしくはないほどだ。

グリップのところがお洒落な青鱚(キス)竿。

松本東作の弟子の弟子の弟子の弟子にあたる寿代作による比較的新しいタナゴ竿。

東作の名を襲名した、銀座東作による真鮒竿。

入れ物もまさに芸術だ。

竹と漆で出来たこの和竿は一生物と言われる。使い終わったら乾拭きでさっと拭く、それだけで20-30年は平気で保つ。ただ釣りを楽しむだけでなく、伝統工芸品としての価値の重みをも兼ね備えた代物なのである。

●もう2つ、気になったこと

和竿職人には松本東作などのような職業職人がだけでなく、趣味が高じてその技を極めた者がいることも、感慨深かった。
孤舟(こしゅう)はその代表である。彼は大阪の中央郵便局に勤めながら技を極め、大阪だけでなく関東でも押しも押されぬ人気作者となった。

昨今では働き方の転換期などと呼ばれて久しいが、その体現者たちの多くはこの「趣味が高じて…」というものが多いように思う。
有名なところで言うと、勝手に崇拝している東京カリ〜番長など、なんとも嫉妬したくなる「趣味が高じて…」である。あ〜うらやましい!

そういえば、寄贈者のなかに松田節子という女性の名前があった。
「山ガール」の次は「釣りガール」という話をたまに耳にするが、なかなかその波はやってこない。
もし、本当に「釣りガール」が大きな潮流になったのならば、その先駆者は児島玲子ではなく松田節子ということにしてほしい。(なんとなく…)

●小学生には難しかった竿先

僕が小学生のころ、大変苦労した竿先(穂先)は、やはり和竿づくりにおいてもっとも重要な箇所の一つらしい。
「竿先のみ素材を変える」「鯨穂を継いだもの」「削り穂やソリッド穂とよばれる、溝を利用するもの」など実に多種多少な手法がある。
くじらほ? そんなもの小学生の僕が知る由もない。

さらに竹は火であぶり、素手でもって曲がりや歪みを修正する。その微妙な感覚は極めるのに20-30年とかかり、本当に納得がいくものが作れるようになるには、一生かかるとも言われる。

10歳の僕に出来るはずもなかろう。

資料館の前にある「闇坂」をくだり、帰路についた。その先に灯りがあることを期待して。
僕も「趣味が高じて」何かを生み出したいものだ。