東京B級百景〜その3〜浅草稲荷町・和竿の店「東作本店」@稲荷町

◎使われて初めて「道具」に意味が生まれる

「おまえさんみたいに、写真に撮ったってしょうがないんだよ」
店内を写真で撮っていると、店主に怒られてしまった…。


銀座線稲荷町駅を出て、清洲橋通りを南に向かう。

最近では芸術品だとか伝統工芸品だとか言われるようになった和竿であるが、やはりその本質は「道具」である。資料館に大切に飾られただけでは、道具としての役割を全うしているとは言いがたい。当たり前だ。
『江戸和竿職人歴史と技を語る』(平凡社)のなかで、泰地屋東作の6代目にあたる松本三郎氏は「3代目までの東作の和竿はほとんど残っていない」という。もちろん関東大震災東京大空襲があったためだとも言えるが、それに加え「道具」としての和竿を、作る側も使う側も心得ていた点にあるのだという。
さらに氏は、和竿とカーボンロッドなどの機械製品との違いを同書のなかで次のように語っている。
「これは化学製品ではまずあり得ないことなんだけれど、和竿は釣り人と一緒に歳をとってくれるんです。竹と漆の色艶は五年、十年と使えば使うほどよくなっていく。深みのあるいい色に育っていきます」
つまり、和竿は使うほどにその良さを増すと言うのである。「もったいない」などと言って、蔵にとっておく人間など少ないことは容易に見当がつくのである。


町の風景にとけ込む江戸和竿の老舗。


近づくと、こんな感じ。一見すると、釣具屋に見えない!?

◎いなり町、東作本店

銀座線・稲荷町駅を出て、清洲橋通りを南に向かう。ものの数十秒で東作本店は見えてくる。
店には所狭しと和竿が陳列され、入りきらない安価な商品などは軒先に並べられている。

西暦1788年(天明8年)初代泰地屋東作・松本三郎兵衛が日本初の釣具店を下谷広徳寺門前(現在、東京都台東区東上野3丁目)に開店してから223年(2011年現在)、いなり町東作本店は和竿の美と伝統と共に、日本の釣り具の歴史を歩んできた。6代目をはじめ職人たちが精魂を傾けて制作した本物の和竿が売られている。初心者の方には、和竿の扱いなど懇切丁寧にご説明してくれるらしい。(東作本店のホームページを参照)

覗くと店には、客は1人もいなかった。
おそるおそる、狭い店内へと足を踏み入れる。

店の奥にある小部屋では40〜50代の男性と女性の2人が発注作業や伝票の整理やひっきりなしにかかってくる電話注文の対応などをこなしている。
電話の相手はほとんどお得意さんのようで、「京都の〇〇町のとこの●●さん」という固有名詞が飛び交う。
邪魔してはいけないと思いつつ、タイミングを見て主人らしき男性に声をかける。

「和竿に興味があります。ブログ用に写真などを撮りながら見学したいのですが、大丈夫でしょうか?」
「あぁ、勝手にしな」


無造作に置かれた和竿に数万円の値札が…

◎さりげなく置かれた8万円の竿から感じる粋

先に挙げた書のなかで、松本三郎氏がこう言っている。
「それまでの竿屋っていうのは、客を信用しなかったわけではないけど、製品大事(原文ママ)でみんな奥にしまい込んで、お客が見たいと言わなければあまり手に持たしてくれなかった。
それを手の届くところに置いて、ものによっては紐で天井からぶら下げて、どうぞ誰でも自由に触ってくださいって変えちゃったんです」

そのような企業精神というか、家業精神があるのだろう、お客に干渉しようという素振りがない。
「勝手に見たいものがあれば手に取りな。なんかあれば言ってください」
とだけ付け加え、2人とも自分の作業に没頭している。

その言葉に甘え、店内の商品をじっくりと見学し写真を撮る。
お、これは見事だなと思うものは、だいたいが3万円以上する。数十本継ぎの「タナゴ竿」などには、先日見た「釣り文化資料館」にあるような製品と代わり映えしないように思える商品もある。さりげなく、陳列されている竿が、値札を見ると7万も8万もする。コンビニだと数千円する、iTunesカードやUSBメモリなどは、万引き防止のために、レジの裏に置かれる。それを鑑みると、ものすごいことだ。


いろいろな和竿が所狭しと並ぶ。個人的には、やはりタナゴ竿が気になる。

◎一度踏み入れたら戻れない世界

その中でも、気になったのはルアー用の投げ竿だ。自分のアマゴのルアー釣りに使えるのか、天城山中の渓流に思いを馳せながらじっくりと手に取った。

「いいですね、この竿。残念ながら給料が少ない身分なもので、なかなか思い切って購入できないのですが、経済的な余裕ができたらこれ買いたいです」
思い切って、店の男性に声をかける。すると、彼は少しだけ身を乗り出し話す。

「おまえさんみたいに、写真に撮ったってしょうがないんだよ」
怒られてしまった、と思ったがそうでもないようだ。
「やっぱり道具は使わないと。見るもんじゃないね。その投げ竿は、おまえさんいたいな若いやつが作っているやつだよ。神奈川の田舎の方で、作業しているんだが、なかなかに筋がいいね。もちろんそれだけでは食っていけないから、アルバイトとか他に仕事しているがな」
「そうなんですか、お恥ずかしながら、僕は最近和竿に興味を持ち始めたばかりで…。あの、6代目はこの建物の上階にいらっしゃる…わけないですよね?」
「もちろん。僕は6代目の甥っ子にあたるんだけど、6代目は最近ではめったに人前に出たがらないよ」
「やはりそうですよね、その若い職人さんっていうのは、神奈川のどの辺りなんですか? よろしければぜひお話してみたいです」
僕は直球で聞いてみた。
「元来、職人ってのは、人前に出たがらないから、難しいんじゃないかなぁ」
やんわりと断られる。

「でも、やっぱりいいもんだよ和竿は。おまえさんも一度買って使ってみたら最後だよ、もうカーボンロッドには戻れなくなるよ」
そう言うと、また店の奥に戻っていった。


ルアー用の投げ竿

◎忘れていた教訓

しばらく店内を見学させてもらったあと、お礼を言って店を出た。

稲荷町の駅に向かう道すがら、何度も店主の言葉が頭の中を駆け巡る。

「写真に撮ったって仕方ない…」
それは、わかっているつもりだった。

僕はバックパッカーをして30ヵ国以上を渡り歩いてきたが、そのときの経験則として、写真や映像で見るのと実物を見るのは、まるきり違うと感じた。
そのことをこれからの生活や仕事の教訓としようと肝に銘じている。が、しばらく日本で忙しない日々を送るうちに、どの教訓をどこかへ置き忘れていたようだ。


そんな風にして、店を後にした

写真を撮る事自体を責められたというわけではない気がする。
先の店主は、僕のそんな心のうちを、知らぬ間に見透かして、そのセリフを吐いたのではないか…。

銀座線・稲荷町駅の渋谷行きのホームに降り立つと、ちょうど扉が閉まるところだった。
僕は慌てて列車に駆け込む。銀座線はその歴史を噛み締めるようにけたたましい音を立て、前時代的に激しく揺れながら、僕を乗せて渋谷へと向かった。